4年前にバグダッドを取材したとき、支局の入ったホテルが、夜に何度かロケットで攻された。そのつど跳ね起きた。耳の奥に音がへばりついて、ドアガバタンまる音にも、どきっとしたものだ。
米の空爆を取材した知人は、国後も後症が尾をひいた。干した布をたたく音に身えたりした。彼によれば、空爆の下、ある家族はみんなで大声で歌っていたそうだ。子供のが爆音に向かないようにして、心のを防ぐためだっだ。音ばかりではない。火は五感すべてを通して、子供の柔らかい心をえぐる。京でかれている『カブルの幽』という展示会をて、そう思った。内のくアフガニスタンの子らが『幽』を描いた350点がんでいる。
6年前、ユニセフがアフガンの子らに、『最も怖い』ことと『最も嫌な』ことをいた。『爆と爆の音』や『を持つ男』をいて、『幽』というのが一番多かった。それを知った京のNOPが,幽を描いてもらった。
こば、血まみれ、び出す内や骨……。鼻酸と、子供らしい感性や色彩とが入り交じるは、るに切ない心の投影だ。子らをさいなむ幽とは、『テロ争の最前』にされる祖国の荒にほかならない。
そのテロ作への油活が、来月にも再される。しかし、あまたの『幽』をるにつけ、来支援ではなくアフガン支援のこそが、より深まるべきだと思いは募る。腕力みの荒治だけでは、幽の跋扈はやまないだろう